写真またはマイクロフィルムのコピーによる校合では限界があった写本のうち、沖縄県立博物館本について閲覧およびデジカメ撮影を行った。また長らくある個人の手元にあった八重山の喜舎場英勝家本が、平成20年夏に八重山博物館に寄託されたため、実物による校合およびデジカメ撮影を行った。さらに久米島には、上江洲家本と西銘殿内本があるかのような巷間の説は全くの誤りであり、久米島自然文化センター所蔵の上江洲家本が唯一であることの確証も得た。以上の懸案がすべてクリアーできたため、あらためて現在残っている『四本堂家礼』の全写本を校合した結果、以下のような三つの系統に分類されることがわかった。 (1)沖縄県立博物館本・上江洲家本 (2)石垣家本・崎浜秀明氏翻刻本・京都大学文学部博物館本 (3)仲本家本・喜舎場英勝家本・竹原家本・識名信升家本 なお作成意図・年月日・作者を記した次の記事は、形式上、末尾に相当するものである。 「右之通家規相定置申候間、子々孫々迄無相違永代可相守者也 乾隆元年正月吉日前 祝嶺親方」 これを末尾に置いているのは(1)の沖縄県立博物館本と上江洲家本だけで、(2)(3)の写本はこの項目の後に後ろから四番目の項目を持ってきていて、いかにも不自然さは免れない。その意味で(1)の写本が原本に近い。 さらに言えば、県博本・仲本家本・京都大学博物館本以外は、序文(候文)の前に漢文で書かれた文章があり、本来そうした前文が存在したと見られる. 以上のことから、形式的に最も原本に近いのは上江洲家本ということになる。ただし上江洲家本にも校合の跡が随所に見えるが、それがどの本に拠ったのかは課題として残る。
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