『四本堂家礼』が初めて公刊されたのは崎浜秀明編『沖縄法制史料集成』第5巻に所収された油印本であった。これは奥野彦六郎氏が収集した『蔡家家憲』を沖縄県立図書館に寄贈された桑江本によって校合したものであった。その崎浜翻字本は、文字の異同があるもについて「」で傍書されてはいるが、凡例がなく、それがどの程度の範囲で行われたのか、助詞の万葉仮名表記についても統一的に平仮名に直したかが不明であること、また判読できない文字はそのまま字形をなぞったままとなっていることなど、校合する写本としては不正確な点が多かった。今年度、元の奥野彦六郎氏の収集本が普天間宮に所蔵されていることを発見した。そこで、あらためて崎浜翻字本に替えて校合作業を行った。その結果、奥野収集本は石垣家本と筆写元が同じか、石垣家本を再筆写したかのいずれかであることがわかった。そのことを踏まえ、現存する『四本堂家礼』の全写本を通覧すると、写本は、大きく(1)博物館本・上江洲家本・京大本と、(2)八重山の写本(石垣家本・仲里家本・竹原家本・喜舎場家本・識名家本)と奥野本のグループに分けられること、その中で上江洲家本が最も原本に近いことを指摘した。現在の写本には『四本堂家礼』『四本堂規模帳』『蔡家家憲』の3つの名称が見えるが、上江洲家本が原本に近いと考えると、その表紙に書かれている『四本堂家礼』が原本の名称であった可能性が高くなる。上江洲家本の筆写年は1860年(万延1)で年紀が知られるものの中では最も古く、他はすべて明治以降の写本であることも傍証となろう。『四本堂家礼』は東アジアへの伝播を考える上でも、また琉球社会に於ける儀礼や習俗を考える上でも重要な資料であるが、原本が失われており、影印本や写本や翻字本はあってもテキストとしては不十分であった。そこで現存するすべての写本間の校合を行い、校勘本『四本堂家礼』を作成し、より正確なテキスト情報を提供した意義は大きいと考える。
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