本研究は、時刻制度が国家と社会の時間を秩序立てる重要な制度であると考えることから、7〜9世紀の時刻制度について、国家と社会との関係で、その実態と歴史的意義を解明することを目的としている。その前提として当該時期の時刻関係史料の悉皆的収集が必要であり、本年度は昨年度に引き続き学生アルバイト2人を雇用して、『令義解』、『令集解』、六国史、『類聚三代格』、『延喜式』、木簡などから時刻関係史料を収集し、パソコンに打ち込む作業を行った。平城宮、長岡京跡出土木簡については、出張して所蔵機関におもむき、原物史料の調査を行い、新しい史料を発見した。これらの史料は時刻制度の実態の解明に大きな意義を持つものである。 時刻制度が国家の行政、都や地方の生活に、実際どの程度浸透していたのかについて、新発見の史料によって考察し、国家行政が時刻制度に基づき運営され、都と地方の官人・庶民の生活をある程度規制していたことが明らかにできた。 日本の時刻制度の淵源について、中国の時刻制度との比較から考察した。 日本の時刻担当官司である陰陽寮の制度的枠組みを明らかにし、陰陽寮の官人である四等官・漏刻博士・陰陽博士・天文博士・暦博士などに任命された氏族について検討し、それぞれの官職の特徴を考察した。
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