道中日記及び関連史料の補充調査を行い、全国の公共機関が所蔵する熊野街道経由の道中日記の複写収集についてはほぼ網羅に近いレベルまで達した。出身地、年齢、性別、村内の位置(階層)、同行者・人数などの詳細情報を含めたデータベースを、報告書に掲載する。熊野街道を経由しない大和越えの道中日記については、未見のものが多く整理が行き届かなかったため、今後の課題としたい。 江戸時代の旅人は、伊勢参宮を目的としつつも寺院にも詣で、観音信仰に基づき西国巡礼を志しても神社参詣をしている。この様相は道中日記にも表れるが、江戸時代の民衆信仰における神と仏について、伊勢神宮領をフィールドとして検討を加え、論文にまとめた。 道中日記は裕福な旅人の記録であるが、貧しき巡礼の旅の実態を把握するため、尾鷲組大庄屋文書(尾鷲市中央公民館郷土室蔵)に見られる救済記録と、熊野市大泊町で発見された若山家文書・善根宿納札の調査を引き続き行った。まず救済記録は、18世紀半ばから幕末に至るまでの約7000件の事例について統計的に検討した。旅人の属性(宗教者、障害者、芸能民ら)や地域分布のほか、旅の目的(信仰の様相)、救済金額や病気療養、村送り制度などの救済の実態等について分析した(報告書に論考掲載)。故郷に帰ることなく巡礼地を廻り続ける旅人の姿を抽出できたことが大きな成果であり、これも論文にまとめた。 善根宿の納札については、地元団体らと協力して整理を終え、調査報告書を刊行した。道中日記や救済記録に比し著しい特徴として、西国巡礼以外に四国巡礼、六十六部、神社参詣など極めて多種多様な信仰を持つ旅人の姿が見えたこと、女性の比重が高いこと、札所寺院の納札調査で明らかにされた地域分布とは大きく異なること、などが挙げられる。
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