本研究の目的は戦争と災害という視点から幕末期の畿内・近国社会論を構築することで、本年度は、以下(1)~(3)の作業を行った。(1)はこれまで収集した史料の内、重要と思われる史料の翻刻で、具体的には、大和五条代官所を襲撃した天誅組の変(文久3年)、但馬生野の変(文久3年)、禁門の変(元治元年)、武庫川決壊(慶応2年)、禁門の変以降を中心とする尼崎藩政治動向に関わる史料である。原稿の作成は完了したので、随時、京都大学人文科学研究所『人文学報』などに公表していく予定である。なお、この際、本研究の一つの目的である早稲田大学図書館蔵服部家文書の概要についてもふれる。(2)は昨年度から着手した幕府領石見大森代官所の掛屋熊谷家と、幕府領備中倉敷代官所の掛屋大橋家の情報文書の収集・分析で、両家が周辺諸藩の武士・町人、大坂の掛屋大坂屋貞次郎、幕府代官所役人などとの間で大きな情報網を構築していることが明らかとなり、幕末期、人々が京阪の政治動向を注視していたことがわかった。この成果によって、昨年度までに取り組んだ尼崎藩の情報収集の質や意味が知られ、領主層と民間の二つの視点から畿内の幕末社会を位置づけることができた。なおこの成果の一部は、「掛屋と代官所役人」(宇佐美英機・藪田貫編『都市と身分願望』)に著した。(3)は尼崎城下風呂辻町の宗門帳を用いた労働力移動に関する分析で、19世紀の摂津・河内は、瀬戸内の城下町・在郷町を含んだ広い労働力移動圏の一つであったことがわかり、幕末期の畿内社会の労働力不足・賃金高騰の意味を明らかにすることができた。なお、本研究の全体に関わる成果は、「畿内の幕末社会」(『講座明治維新』2、2011年1月刊行予定)を発表予定である。
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