同仁会の活動実態の解明するため、本年度は国立国会図書館の憲政資料室に調査に赴き、青木義勇文書を閲覧複写し、解読を進めた。青木義勇は、日中戦争中に同仁会漢口診療防疫班に勤務した細菌学者でありる。彼は、日中戦争期の同仁会についての著作『同仁会診療防疫班』も残している。 青木は、この著作を準備するにあたって、元同仁会の職員だった同僚たちに手紙を送り、戦時中の状況を寄せてもらっていた。その報告内容は、実体験に基づいた資料である。この資料の読解はまだ不十分であるので今後進めて行きたい。 今年度の成果としては、「日中戦争期における対中国医療支援事業の変容-同仁会の医療支援について-」を『宮城歴史科学研究』次号に掲載予定である。本稿は、同仁会の医療・救護事業の具体的実施状況について明らかにし、同仁会の組織的・経済的背景を解明した。さらに、同仁会の変容について事業内容がどのように変容したのかを具体的史料に基づいて検討し、その変容の基盤となる同仁会の組織の人材、資金について明らかにしたものである。 同仁会は、中立公平の立場で医療を提供することはできなかった。診療も防疫も軍の命令下に実施せざるを得なかったため、第三者的な人道支援とはなりえず、軍の宣撫活動の一環と見なされざるを得なかった。その背景には、組織の性格が外務省文化事業部との関係を強め、政府機関の様相を呈していったこと、財政的にも、会費や寄付によっていた財源が国庫補助金へ大きく依存するようになったことが挙げられる。宣撫医療は、敵国人を診療する人道的行為として「聖戦」のスローガンとも親和性があった。しかし、宣撫医療は、所詮自軍の宣撫工作の一環であり、戦争協力に他ならなかった。
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