本研究においては日本中世の仏教が中国仏教からどのような影響を受け、如何なる歴史的状況のもと大陸の仏教が日本社会で受用されていくかを実証的に解明することに努めた。今年度はまとめの年にあたり、2本の学会報告と4本の論立発表を行った。研究成果を海外における国際シンポジウムで日本中世史・日本仏教史研究の新たな動向として報告し、この分野の重要性を欧米の研究者に向けても発信した。 中世仏教のなかでも禅宗は13・14世紀の活発な渡来僧や日本からの求法僧の往来によってもたらされたことは周知のことであるが、日本国内において公武政権が積極的に日本仏教のなかに禅宗を組み込み位置付けていくことも事実であり、僧侶の思想や活動と公武政権による宗教政策を総合して考察することを進めた。 こうした研究視角のもとで、14世紀に公武政権あげて禅宗を体制的に受容し仏教体制のなかに位置付けていく過程を明らかにした。この時期、京都・鎌倉の禅宗寺院に対して大量に発給された太政官符などの文書の歴史的意義を解明した。また、禅僧たちが執行する仏事法会、禅僧たちによる教学や大陸情報の紹介である談義などの重要性を明らかにした。 禅宗の仏事法会は従来の顕密諸宗が行う法会とは異なったものであり、室町殿のもとではこうした禅宗様・大陸様の仏事法会が年中行事のなかにも採り入れられ、顕密諸宗の法会と並立して定着していくことを明らかにした。また、禅宗様の法会が顕密の法会と機能的には同様の働きをするものもあり、こうした類似性も指摘した。こうした成果をもとに日本仏教史のなかの五山禅宗の位置付けを行った。
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