本研究では、環境歴史学の観点から、古代・中世においては、対極に位置づけられる森と原野について検討を行った。阿蘇での研究の結果、阿蘇神社の祭礼の中心となっていた下野地区では、野を下野と呼び、森を鷹山と呼んだ。この野と森は、阿蘇の人々の火(野焼き)と水(水田)の利用の象徴的場として機能してきたことが明らかになった。平安京でも、野と森は、都市郊外の自然空間と認識されながらも火と水の象徴地として存在していた。平安時代には、都周辺の野は火葬地となり、水源である神聖な神社の対極に位置づけられた。田舎においても、都市においても、この時期、野と火、森と水の関係は共通していたといえる。
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