本年度は、いくつかの地域における出土文字資料や古代の遺跡を調査しつつ、遺跡の性格と出土文字資料の関係、地域性について検討を行った。 西海道の各地域の様相についてみると、対馬には7世紀半ばに金田城が築かれ、政府の軍事拠点が設けられるが、古代の文字資料は貨泉が知られるくらいで、地元のものは未発見である。壱岐における墨書土器が九州北部からの搬入品であることと考え合わせると、対馬・壱岐のわずかな古代文字資料は、交流の結果もたらされたものであることが窺える。九州北部では、前原市泊リュウサキ遺跡出土木簡や九州大学筑紫キャンパス出土の墨書土器を実見したが、前者は元岡・桑原遺跡群の近くに位置することから生産遺跡との関連が想定され、後者は大宰府郊外の、仏教施設を伴う地区と推測される。九州中部では熊本市内で出土した600点余の墨書土器を実見・釈読し、次年度に遺跡の性格別の検討を行う予定である。九州南部では鹿児島県姶良町外園遺跡出土の墨書土器約200点を実見、ヘラ書の「足」が圧倒的に多かった。官道沿いと想定される立地であり、著名な静岡県伊場遺跡でも「足」墨書土器があるから、外園遺跡の性格を検討する上で関連が着目される。また薩摩川内市川骨遺跡では九州南部で初めての多文字墨書と人面墨書がみつかった。多文字墨書は千葉県に多くみられるもので、分析には比較検討を要すると考えている。
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