本研究の目的は、インドのムガル朝期から英領期にかけての社会の変容過程を、インド西部のグジャラート地方、の国際港市スーラトに焦点を当てて解明することにある。1、史料の読解と分析では、イティバル・アリー・ハーンの日記『ミラートゥル・ハカーイク』の読解を進めた。その際、前年度末にアリーガル・ムスリム大学で入手した同日記の現代の写本と校合している。2、前年度末に発表したスーラトの西洋諸国の商館の諸施設の所在地や所有関係に関する研究の続きとして、その時にはまだ明確でなかったイギリスの旧商館と新商館の関係について、1700年~1701年のイギリス東インド会社史料等によって解明を進めた。17世紀、特に18世紀のイギリス商館が、単なる商業機関であることを超越した政治的軍事的な機関としての特徴を次第に強めているが、他方で新旧東インド会社商館が互いに対立していた1700年ごろには旧商館の商館長等が数年にわたってスーラト県長官によって監禁されていることなど、東インド会社の商館と地方行政官や商人たちの関係の変容については、本年6月に研究会1で報告する。3、ジャイプル王宮博物館所蔵の1730年ごろ作成のスーラトの地図の再撮影許可は残念ながら依然として下りていないが、英国図書館所蔵の19世紀初頭の地図とスーラト市庁作成の現代の詳細な地図の比較を進めており、例えば今日のスーラト市庁舎(元のキャラヴァンサライ)前を通る幹線道路がほぼ一致することや県長官の公邸の敷地跡が今日の地図で追跡できることを確認した。4、本研究の対象年の末期(1750年)のスーラトのオランダ商館長ヤン・シュレーデルの書き残した覚書の読解も進めた。
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