平成21年度には、海外で作成された朝鮮国図を中心に、明と江戸期日本で作成された地図を研究した。16世紀に、明朝中国で『廣輿圖』という地図帖が印刷されているが、この地図帖には、明朝中国と外国が描かれており、数冊が現存している。これら数冊の地図帖の中の朝鮮図には、高麗時代における地名と朝鮮時代における地名が混在しているので、両時代の地名をおよび地名が使用された時期を確認し、印刷地図帖の朝鮮図にある誤字の表を作成した。今後、より詳細に地名変更を調べる必要がある。 上記以外のプロジェクトとして、江戸時代に活躍した日本人知識人によって作成された複数の朝鮮図に関する研究を行った。これらの朝鮮図は『廣輿圖』とは違い、朝鮮時代に作製された朝鮮図に基づいて筆で書かれた地図である。その中で一枚図と道別に朝鮮を分けた地図帖の中の地図を研究した。特に、西日本を中心に、日本・朝鮮間の境界認識を調べた。一枚図と道別の両方の種類の地図には、一貫された朝鮮領域と言えるものは把握できない。例えば、朝鮮図に描かれた対馬は、他の地図から写されたものかどうかの確認はできなかった。一方、対馬が朝鮮図に描かれていないケースでは、その島が日本、いいかえれば江戸幕府の領域にあることが明確であった。 また、十五世紀後半に朝鮮で印刷された『新増東国輿地勝覧』の現存本と1539年に印刷された『新増東国輿地勝覧』の中の国図と道別の地図の中の東の海に描かれた欝陵島と于山島を検討し、論文にまとめ、近刊の予定である。この論文では、『新増東国輿地勝覧』で于山島の位置が欝陵島よりも朝鮮半島に近く描かれているが、それは『新増東国輿地勝覧』の地誌部で記載されている二つの島の順番を反映していると論じた。
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