本研究は、近代トルコにおける西洋演劇の受容は「正劇」よりも、「ヴァラエティ」の性格を持つ大衆演劇の受容に成功したといわれる理由を明らかにすることを目的のひとつとしている。これに沿って、本年度は19世紀ヨーロッパにおいて演じられていた大衆芸能の受容とトルコの伝統演劇との接点を明らかにするための調査に重点をおいた。その結果、20世紀初頭のイスタンブルで人気を博していたイタリア語起源の歌舞「カント」に由来する大衆演劇に関する音声および文字資料を入手した。他方、「カラギョズ」および「オルタオユヌ」伝統演劇の展開過程を追跡した。その結果、西洋演劇の流入が伝統演劇の衰退をもたらしたとされる従来の研究とは反対に、西洋の大衆芸能の流入によって、伝統演劇はかえって活性化したことを明らかにすることができた。その接点となったのが歌舞「カント」の流行であった。それは伝統演劇の持つ即興性、音楽性、喜劇性という三つの要素が西洋の大衆演劇と共通性を持っていたからである。その最も典型的な例が、「大道芸」として存続してきた「オルタオユヌ」が19世紀以後近代劇場が開設されると、その舞台に上がり、「トゥルーアート」(即興劇の意)と呼ばれる大衆演芸の新しいジャンルが生まれたことである。この新しい大衆演劇で最も人気を博したのが、パリのフォリーベルジェールなどで演じられていた歌舞が「カント」の名でイスタンブルの舞台で、最初はアルメニア人、後にトルコ人女性によって演じられた。また、この演劇の主役の「道化」(イビッシュ)は16世紀のヴェネツィアに発生し、17世紀以後ヨーロッパ全土に広まった「コメディア・デラルテ」の主役アルレッキーノのトルコ版にほかならない。このような手法を通じて西洋演劇の一部がトルコの近代演劇に受容されていったのである。
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