本研究は、近代トルコにおける西洋演劇の受容にあたって、シェイクスピア劇のような「正劇」よりも、「ヴァラエティ」の性格を持つ大衆演芸の受容に成功したといわれる理由を明らかにすることを目的としている。ただし、わが国におけるこれまでの演劇史研究において、アジア、とりわけイスラム世界の演劇はほとんど無視されてきたといってよい。このため、その重要な一角を占めるトルコの伝統演劇はまったく知られていないことを考慮し、カラギョズ(影絵芝居)と、その人間による演劇形態ともいえるオルタオユヌ演劇との実際をまず具体的に検討した。その結果、トルコの伝統演劇は、東から西伝した影絵芝居の影響を受けているとともに、古代ローマ以来のミモス劇やコメディア・デラルテなどの西洋の演劇とも密接な影響関係にあったことが明らかにされた。19世紀以後、西洋の演劇との接触を開始したトルコの演劇世界は、西洋の正劇を翻訳・翻案することによって受容したが、その中心となったのは、主としてアルメニア人であったために、ことばの「訛り」などさまざまな障害が存在した。これに対して、主としてトルコ人役者によって演じられた「トゥルーアート」と呼ばれる演劇は、オルタオユヌの技法を受け継ぎつつ、近代的劇場の舞台で西洋的な演劇をも演じるという新しい演劇形態を生みだした。この演劇と西洋の「ヴァラエティ」演劇とに共通するのは、即興性、喜劇性、そして音楽性であった。そして、これこそトルコの伝統演劇の持つ三要素でもあった。これが、トルコにおいて「正劇」よりも、むしろ「ヴァラエティ」の受容に成功した理由にほかならない。本研究の成果は、白帝社より『19世紀末イスタンブルにおける演劇空間-都市社会史の視点から-』と題して本年度中に出版する予定である。
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