国家の枠組みを越えてクロスオーバーした移民政策の連動と相関性の実態とその要因を明らかにする本研究の実証面として、第二次世界大戦後1952年に行われた米国移民・帰化法改正に対する、日本における様々なレベルの反応を検証し、日本の「移民問題」観、対米観についての論考を発表した。そこで明らかになったことは、移民法をめぐる「移民問題」とその余波によって、占領期から講和直後の「圧倒的な敗者」である日本人のうち「親米」が苦しみ、真の「知米」が生まれる機会の喪失に一部繋がったことである。移民問題への民間団体の関与とトランスナショナル・ネットワークの発展が「反米」「嫌米」の世論にかき消されたのである。また、新たな「移民問題」と戦前からの変わらぬ「移民問題」観が混在した1950年代が、日本の「移民政策」のあり方、すなわち、現代日本の「人の移動」や「移民問題」にまで関わってくるトランスナショナル・ヒストリーの一分岐点としてたち現れてくることが明らかになった。 加えてトランスナショナル・ヒストリーの断片を明らかにするべく史・資料収集とその課題についての検討をいっそう進めた。このなかで1870年、1880年の米国人口センサスにおいて報告された初期日本人移民・移住者を事例として、主に米国のセンサス史・資料である調査票原票と、移民局統計、出入国記録、乗船名簿などの従来からの移民史料を重層的に照合することで、トランスナショナル・ヒストリーの可能性と課題について詳しく検討した。さらには、昨年度から引き続き、米国から白豪主義下のオーストラリアへとトランスナショナルな移動を重ねた高須賀譲とその家族についての日本・オーストラリア双方のさらなる史料収集と末裔の方々へのインタビューを行った。これら収集した史・資料については目録作成およびデータベース化作業を行った。
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