研究概要 |
本年度は、11世紀後半から12世紀における神の平和運動の変化をフランスの諸領邦・地域について考察することに力点を置いた。ただしイル・ド・フランスを中心とする国王直轄支配圏についてはすでに研究を行ったことがあるので,省いた。 ノルマンディでは1042/43年,1061/62年、64年の平和会議は司教団のイニシアティヴの下に組織され、決議にも教会色が濃厚である。また平和令の適用による判決も行われている。これに対し、イングランド征服後の1080年のリズィユー会議は,公が教会組織を活用して秩序維持を行うという方向を打ち出した。征服公の死後は秩序が不安定となり、司教、修道院のイニシアティヴが目立ってくる。しかしヘンリー世の治世とともに公による秩序維持が定着した。神の平和令は公の立法の一部として形式的にのみ存続した。 フランドル伯領の場合、ll世紀においては教会組織が平和に関する主導権を握っており、伯は神の平和運動の後援者という形で治安問題に関与していた。伯ロベール二世が十字軍に参加して不在であった時期は治安が非常に悪化し、司教が教会の平和令を活用して治安維持に努めた例が散見される。12世紀の初になると、伯は自らのイニシアティヴで領域治安法を公布するようになった。しかし神の平和の観念も12世紀の前葉までは存続し、伯の平和を補強していた。 南フランスでは12世紀に、いくつかの司教領邦で、平和民兵の組織、平和税の創出が見られ、平和運動を起点にした領域権力の形成が観察される。
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