今年度は、主に12世紀における「神の平和」運動の変容について考察した。12世紀に入るといくつかの地域で、「神の平和」運動を基盤にした新しい秩序再編の動きが見られる。私はこの動きに、大きく見て三通りの類型を認めることができると考えている。 第一の類型はノルマンディー、フランドル、カタロニアに見られる。これらの地域ではもともとこの運動と領邦君主との提携が緊密であったが、12世紀に入ると君主による強権的治安維持システムが発展し、神の平和・休戦の運動を吸収していくことになる。 第二の類型は国王支配圏である。これについてはすでに論じたことがあるが、12世紀初の王権はイル・ド・フランスを中心とする支配圏においても、独自の権威に基づく平和令を公布し強制することが困難な状況にあった。ルイ六世は教会の平和運動に密着し、平和民兵に近似した形の民衆動員も試みる。ルイ七世はこのような実績の上に立って、1155年にカペー王権最初の領域平和令である「ソワッソン平和令」を公布した。この平和令を含めてカペー王権は、伝統的な紛争処理システムの変革ではなく、それを前提とした国王裁判権の強化を徐々に進めた。 第三の類型はラングドック・アキテーヌ地域である(55)。ここでは強固な領邦の枠組みがついに形成されないが、12世紀の後半から司教区を単位とする秩序維持組織が形成され、13世紀初まで活力を保つ。司教は司教区民に平和誓約をさせ、平和維持軍を組織し、平和維持のための課税を行ない、役職者を定めた。つまり11世紀以来散発的に現れていた方法が、ここで集約され制度として確立するのである。 12世紀にはこのように、地域ごとの政治状況に即した「神の平和」運動の変容が見られる。さらにいえば、12世紀では平和はもっぱら治安に関わる概念に収斂していく。それは地域の住民が日常生活において求める便宜であり、対価を払って得られるものであった。その対価は南フランスでは平和維持税と軍役であり、北の有力領邦では君主の強権への従属であったといえよう。
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