1、1926〜1946年におけるシュヒーヌ田園都市の第1次建設区画にそくして、住民の構成とその変化に関連するデータの分析を進め、いまだ中間的段階にあるとはいえ、住民の構成が住宅の間取りや設備と一定の相関性にあると証明できるところまできた。パリ地方における田園都市の建設状況、シュレーヌの産業・交通事情などを前提としつつ、この中間的段階での成果をまとめて「シュレーヌ田園都市の住民構成1926〜1946年-パリ郊外の社会住宅をめぐって」(仮題)という論考を執筆した。ただし、その公表は新たな年度に持ち越した。 2、さらなる住民分析の深化のために予定したフランスでの短期の調査は諸般の事情から断念を余儀なくされた。しかし、これまで実証的検討を踏まえつつ方法的省察をおこない、第4次ないし第5次の建設事業として誕生した区画を取り出して分析し、その結果を第1次建設区画と比較するという方法が適当であると判断するにいたった。ただ、具体的な資料状況を勘案しての作業は、いうまでもなく、次年度のフランス滞在中における課題とせざるをえなかった。 3、パリ地方の都市政策を主導したアンリ・セリエとその周辺が、パリ地方にどのような都市空間を実現しようとしていたかという点について、同時代の雑誌の調査や史料の探索を進めることができた。そうした資料やデータにもとづく検討や分析は今なお継続中である。 4、近現代都市史研究の視座や方法について模索をつづけた。なかでも、論集『歴史のなかの移動とネットワーク』の編集責任者をつとめ、ネットワークはもちろんソシアビリテ(社会的結合)、地域といった歴史研究の方法的諸概念を論じる小文にまとめたことは、近現代都市に生きた人びとをとらえるさいにも有益な観点へとつながるものであったと考えている。
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