平成18年度、科研費採択前の準備期間として、研究代表者は群馬県伊勢崎市毒島城遺跡の測量調査と発掘調査を試みた。また、併せて空中写真の撮影も行った。その結果、家形埴輪群の出土で著名な赤堀茶臼山古墳の東方、約400mの位置にある独立丘陵に在る毒島城遺跡は、その上に中世の遺構が重なっているとされ、市指定遺跡になっていることから発掘調査には特段の注意を払う必要性があるとの判断が下された。そのため、目的としていた古墳時代の層までの掘り下げを断念せざるを得なくなった。 そこで、平成19年度には、同じ地域圏に存在する同市今井学校遺跡の豪族居館の調査に切り替えて、測量調査・発堀調査を実施した。その成果として、今井学校遺跡の1辺約80mという全体の規模と外郭施設の堀の規模・形態、火山性堆積物との関係、内部の竪穴住居跡の存在、内外の古墳の存在、堀底面からの土製円盤の出土が明らかになった。それによって、今井学校遺跡の三ツ寺I遺跡に追随する規模が知れ、この伊勢崎地域に原之城遺跡に次ぐ大型居館が存在することが判明した。また、鏡を模したと推定される土製円盤の出土から居館内部に祭祀遺構が存在する可能性が高まった。堀堆積土中の火山性堆積物との関係から、居館の造営は榛名山噴出火山灰(FA)の降下後と判断された。出土土器は少ないものの、6世紀後半代のものと推定される。 なお、以前の調査で、今井学校遺跡の内部から大型竪穴住居跡が確認されていたが、その出土土器の整理を併せて実施した。実測の結果、6世紀後半代のものと認められた。さらに、その住居に見られたL字形カマドの問題を検討した。その結果、朝鮮半島南部の、石を構築材に使わないL字形カマドとの類似が指摘できた。居館内部に半島系の渡来人が存在し、首長に重用されていたことがうかがえた。ここに、古墳時代豪族居館と渡来人との関係が全国的に見て初めて明らかになったことは重要である。
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