(1)写真資料の収集、データー化作業は、新たに酒田市、札幌市にて資料を得ることができた。再興九谷焼のなかでも新しいもので、その由来もはっきりしないものが多かったが、九谷焼の製品が含まれることが確認された意味は大きい。肥前の製品が主で、瀬戸や美濃製品は肥前に比べ少ないことや、時代が新しくなり多くの窯が各地に存在しても九谷の製品が収蔵品に見られることは、肥前や瀬戸、再興九谷の流通や生産の特徴を示すものである。今後、金沢大学宝町遺跡出土品や各地の発掘報告書に掲載された遺物との比較検討をおこない、編年や製品の流通の観点から、いままで注目されることのなかった大正時代以降の再興九谷焼の様相をより細かく明らかにできる。また、石川県九谷焼美術館にて松山窯製品の写真撮影がかない、まとまった伝世資料をデーター化する事が出来たのは大きな収穫である。金沢大学文学部が発掘調査した松山窯の考古学的資料との比較検討が新たな研究課題となる。 (2)梨谷小山窯跡出土の陶片や窯道具資料の写真撮影、実測作業をおこなった。また窯体実測図面の検討、窯跡近隣の関連遺構確認をおこなった。 (3)九谷焼が海上運送されたことは船主の記録にあるが、その運搬量、卸先、値段などを知ることは難しい。日本海側の昔からの港町といわれる敦賀、舞鶴、金沢、小木、長岡、新潟、酒田などで、公開されている旧家の陶磁器所蔵品調査をおおなった。使用された陶磁器のうち圧倒的に多く、長時期にわたるものは肥前磁器であったが、再興九谷焼も見ることができた。再興九谷焼は新しいものが多く、北前船による日本海路での九谷焼運搬を直接示すものは見つからなかった。 (4)今年度は海外での実地調査はおこなわなかった。シーボルトコレクションは充分整理されておらず、今後、集中した調査が必要である。
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