東アジア(日本・韓国朝鮮・中国)古代の王陵・王権の比較研究をすすめている。19年度の韓国調査につづいて、20年度は研究実施計画にもとづき、中国の河北省・河南省・山西省において北朝時代の陵墓、都城の調査を実施した。 河北省磁県では、北朝東魏帝陵の武寧王陵(560年)と推定される湾潭墓、高歓義平陵、文昭王高潤墓などの墳墓群の分布状況、曹魏・東魏・北斉の〓城を調査した。〓城の輪郭、帝陵と陵園・墓域との地理的関係などを把握しえた。 山西省大同では北魏の沙嶺壁画墓を見学した。北魏初期の図像で、三燕(袁台子墓)、高句麗壁画(徳興里古墳)と系統関係にあると考えた。北魏平城の明堂、明代の大同城、雲崗石窟などを調査した。平城の都市空間構造、墓葬の分布、陵園(孝文帝の万年堂、馮太后永固陵、思遠仏寺)、雲崗石窟の諸関係を明らかにし、北魏の王陵・王権の特質をさぐる手がかりをえた。また長城を超え、内蒙古自治州とモンゴル共和国との国境の二連浩特まで踏破、草原の自然環境は鮮卑の南遷、北魏の建国過程、領域をみるうえで参考となった。 山西省太原の北斉徐顕秀壁画墓(571年)を見学しえたが、墓主の昇仙思想と出行鹵簿制が表現され、葬送観念や政治制度がうかがえる。研究目的の一つでもある壁画の図像学的研究のうえで格好の機会であった。徐顕秀墓の図像分析とともに、太原の北斉婁叡墓(570年)と〓城時代の壁画墓、さらに隋唐壁画墓との比較研究をおこなっている。また河南省安陽の殷墟の青銅器時代王陵、河北省易県の戦国時代の燕下都と王陵を調査した。 今回の調査によって、殷周・戦国時代から唐代にかけて、墳丘・墓室の規模・構造とその発展過程、陵園制の比較研究によって、研究の目的がたっせられるとの見通しをえた。
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