研究期間の最終年度にあたる本年では3次の海外調査を実施した。第1次は、中国東北地方における遼・金代の都城と王陵・壁画墓の調査、第2次は南京を中心とした南朝の都城と王陵(皇帝陵)の調査、第3次は漢魏の交趾郡(ベトナム・ハノイ)の調査である。 漢魏代の統治にかかわる郡県制研究の一環として、交趾郡治(ベトナム・ハノイ)を踏査した。郡治跡は確認されていないが、コーロア土城がその可能性がある。附近で漢の〓室墓群が発掘されている。王都の洛陽から西南夷に交趾郡・日南郡、東夷に楽浪郡・玄菟郡・遼東郡を置いた。 20年度の研究成果として「『三国志』東夷伝の文化環境」(国立歴史民俗博物館研究報告)151、2009年3月)をまとめ、『三国志』魏書東夷伝の里程・境域・人口(戸数)は魏の天下観(周礼思想など)にもとづくことを考察した。交趾郡は洛陽から「万一千里」で、「方万里」の域外に位置する。帯方郡から邪馬台国まで「万二千里」で、倭国は方万里のさらに楽浪郡を基点とする方万里の域外とされた。倭国、倭王権は魏の册封体制にくみこまれていた。東夷伝の倭人条に、「黄幢」の授受に象徴されるように、魏と倭は軍事同盟関係にあった。西南夷の交趾郡と東夷の楽浪・帯方郡を比較することによって、漢魏の王権、倭の王権の物質が知られた。 中国の南京一帯の南朝の都城と墳墓(王陵)を調査した。南京大学博物館などで呉から西晋・東晋にかけての遺物(帯金具・陶磁器など)を観察した。そのほか西晋・東晋と三燕、高句麗、馬韓、百済との王権間の交流をしめす文物(冠帽などの装身具)の研究をすすめた。 中国東北地方の遼の都城(内蒙古自治区巴林左旗)、金上京(黒龍江省阿城)の踏査によって、渤海から遼・金の都城の構造、変遷過程を把握することができた。都城に王権が表象されている。遼・金代の陵園制についても調査することができた。 これらのフイルド調査をもとに東アジア古代の王権についてまとめる予定である。
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