本年度は、河南省淅川県で調査された墓地の検討をおこなった。淅川県ではこれまで下寺遺跡、和尚嶺遺跡、徐家嶺遺跡といった中型墓が集中する墓地が調査されている(以下これら墓地を総称して「淅川墓群」と呼ぶ)。年代は春秋中期後半から戦国前期に及んでいる。淅川墓群では中型墓が集中しており、小型墓は僅かである。また各時代の複数の墓葬からは「(化?)子」銘の青銅器が出土している。これに拠れば、淅川墓群の墓葬はこの地域に勢力を持った(化?)氏歴代のものと考えられる。 墓葬の副葬品は飲食器、楽器、車馬具、装飾品・日用品の4種に分類できる。このうち飲食器と楽器は儀礼・祭祀での使用が考えられ、車馬具とともに被葬者の身分を表現するものと考えられる。中でも注目されるのは青銅礼器である。淅川墓群の青銅礼器は、春秋中期後半から戦国前期にかけて、個々の器種の形状に変化が見られるが、器種の組み合わせについては一貫しており、変化しない。このことは祭祀・儀礼が一貫していたことを示しており、その背景にはこの墓葬の被葬者である(化?)氏が安定して存在していたことを表している。言い換えるならば、春秋時代の楚における地域勢力の根強さを表している。 ただし戦国時代に入ると、楚の都の荊州で流行した青銅器を模倣した陶礼器が副葬されるようになっており、荊州の影響力が強くなっていることが考えられる。このことは楚の王権の伸張を表しており、春秋時代から戦国時代にかけ、楚における中央と地方の関係に変化があったことを表している。
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