研究概要 |
本研究はベトナムにおいて初めて行われた、本格的な出土銭の考古学研究である。平成19年度は、ハノイ周辺にて収集した一括出土銭資料3点(1〜3号資料)を資料化し、初歩的な検討を行った結果、いくつかの重要な知見を得ることができた。 1号資料は四耳壺に約3万枚の銭貨が容れられていた。1804年初鋳の嘉隆通寳が最新銭であり、19世紀初頭に埋められたと考えられる。90%近くがベトナムの銭貨であったが、中国・日本の銭貨も混じっていた。中でも日本の寛永通寳が7枚含まれていたほか、長崎で鋳造されたとされる長崎貿易銭の元豊通寳が236枚確認された。当時の東アジア規模の銭貨流通を検討する上で重要な発見である。 2号資料は陳朝期(1225〜1400)の素焼き壺に約3,000枚の銭貨が容れられていた。銭貨はすべて中国のもので、洪武通寳(1368年初鋳)が最新銭であることから、14世紀末から15世紀初頭に埋められたと考えられる。中国銭貨のみであったことから、当時のベトナム北部では中国銭貨が貨幣経済の主体であったと考えられる。また、銭貨の孔に紐を通してまとめる「緡銭」の発見は特筆に値する。緡銭は9本中7本が67枚を一単位としており、当時の短階慣行が初めて確認された、貴重な成果であると言えよう。 3号資料は、縄スダレ文様が施された容器の資料であり、上部が失われていたため総枚数などは不明である。容器には1,642枚の銭貨が残されていた。正確な年代は不明だが、銭貨銘などの検討から16〜18世紀ころと推測している。この資料は官鋳の制銭がまったくなく、すべて私鋳銭であった点が特徴である。それらは径も小さく、厚さも薄いため、明らかに制銭とは異なる別の貨幣として認識されていたと考えられ、地域通貨的な使用の可能性も含め、今後の検討が必要である。
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