研究概要 |
平成20年度は、ハノイ周辺にて収集した一括出土銭5点(1〜4,6号資料)を整理し、いくつかの重要な知見を得ることができた。1号資料は、19世紀初頭に埋められたと考えられる。主体となるのは黎朝の景興年間に鋳造された銭貨であり、当時の銭貨流通の様相を復元出来る。そのほか日本の寛永通寳7枚と長崎で鋳造された元豊通寳(長崎貿易銭)が236枚確認された。近世日本とベトナムの交流を銭貨から実証する貴重な発見である。また、中国の銭貨は雲南鋳造のものが多数を占めており、河川を通じた内陸との交流も窺うことができる。2,4,6号資料は若干古い時期の一括出土銭と考えられる。最新銭は2号資料が洪武通寳(1368年初鋳)、4号資料が大中通寳(1361年初鋳)、6号資料が景統通寳(1498年初鋳)であり、14世紀〜16世紀代の資料と推測される。これらはほとんどが中国銭貨であったことから、当時のベトナム北部では中国銭貨が貨幣経済の主体であったと考えられる。 また2号資料と4号資料で緡紐に通された銭貨が検出された。中でも2号資料では完全な一貫文の緡銭が発見された。これは銭貨流通の実態を解明する上で重要な発見である。これらの緡銭の分析から、当時のベトナムでは67枚を一陌(100枚)として見なす短陌慣行のあったことも明らかとなった。3号資料は、国家が発行した制銭がまったくなく、みな私鋳銭や模鋳銭で占められていた。そのため正確な年代は不明だが、銭貨銘などの検討から16〜18世紀ころと推測している。これら私鋳銭・模鋳銭は径も小さく厚さも薄く、制銭とは別の流通経路を持っていたと考えられ、地域通貨的な使用のされかたをしていたと推測される。これら一括出土銭資料のうち、ほぼ調査が完了した1〜3号資料について、昭和女子大学研究紀要Vol.12として刊行し、研究成果の公表を図っている。
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