1901年、上海に開設された日本人向けを主とした東亜同文書院(のち大学)は、中国から東南アジアにかけて700コースにも及ぶ大調査旅行記録を残し、満州も集中的に調査を行った。その満州記録をベースに、20世紀前半期の満州における日本人の進出状況を明らかにしようとした。その結果、日露戦争後、日本の権益の拡大の中で、まず商工業関係者が都市部や鉱山に入り込み、農業開拓者はきわめて少なかったが、満州国成立後は満州への農業移民100万人計画にもとづき、集団形態をとる形で未開拓地の多い北満州一帯に日本農民が送り込まれ、定着化した。
|