本研究は、中華人民共和国で1966年から1976年にかけて発動された文化大革命の歴史的推移を少数民族の一つ、モンゴル族の視点から調査し、その全容を明らかにしようとするものである。文化大革命は毛沢東と中国共産党の「継続革命論」によって引き起こされた暴力運動で、「階級間の闘争」を強調した大衆運動でもあるが、少数民族地域では、「民族問題もつまるところ階級闘争だ」、との理論と実践が強制された。その結果、少数民族と漢族との同化がむりやりに進められ、逆に民族問題が激化した。 平成20年度においては、当初の予定通りに旧満州国関係者から情報を収集し、また、北京などから下放されていた知識青年たちにもインタビューをおこなった。 内モンゴル自治区の場合だと、文化大革命の深化にともない、民族の自治権が政府に剥奪された。また、自治区そのものも分解され、隣接の漢族の省に固有の領土の一部が譲渡された。それだけではない、1966年から1970年の間、「ウラーンフ反党叛国集団」と「内モンゴル人民革命党員を粛清する」事件で、何万人ものモンゴル人たちが虐殺された。その罪状の一つは「過去に日本に協力した」歴史だった。つまり、内モンゴル自治区で展開された文化大革命はジェノサイドだったのである。
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