本年度は、主にドイツ王国の北東部、ライン河流域、中央部、南東部等、ドイツ王国の全領域に、また付随的に、ドイツ王国と共に帝国を構成したイタリア王国とブルグント王国にも、城塞の周辺に城主支配領域つまりフランス型のシャテルニーが存在したこと、つまり帝国に遍くこのシャテルニーが存在したことを究明する課題を設定し、この問題を城塞の「付属物」の視角から究明することに取り組んだ。 その結果、上記三つの王国=帝国において、元来、「付属物」の用語は司教都市、教会、修道院、礼拝堂、村落、国庫領、荘園、水車等様々な主体物に付属する所領や支配権的権利の統一体として現れた。しかし、城塞が本格的に登場した11世紀以後になると、「付属物」は城塞の周囲に位置する所領と支配権的権利との統一体、ないし城塞支配権=支配領域、シャテルニーとしても現れること、また「城塞を付属物と共に」の記述が皇帝・国王証書や地域史の史料集において無数にといってもいいほどに登場することが解明された。ここから、中世の帝国に城塞支配権=支配領域(シヤテルニー)が一般的に存在したと結論することが可能である、という研究成果が得られた。同時に、城塞を中核とするシャテルニーの発展は、国制史一般及び貴族の歴史と密接な関連に立ち、軍事権力、裁判権等の支配権が一層広範に貴族階層へ移行し、かくして貴族権力の地位が強化されるという帰結をもたらしたこと、要するに、シャテルニーの発展は支配権の破滅的に進展する分裂ないし政治権力の分権主義的な発展、さらに中世盛期の貴族の力と栄光を特徴的に示すことも解明された。ここから、城塞の「付属物」は、このような歴史的諸関連と発展を示す指標であるという新たな認識が得られた。
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