平成20年度においては、フランス民事訴訟法証拠法の研究や国際司法裁判所規程起草過程の研究などと並行して、国際司法裁判所における証拠の偏在の問題とその解決法の研究を行った。証拠の偏在の問題は、証明責任の配分に際して、重大な考慮を必要とする問題である。証拠の偏在により生じる当事者の証拠提出能力の実質的な不平等性を処理できなければ、対等な当事者という裁判の前提が崩れる。国内民事訴訟でも重要な問題となるものである。近年の二つの事例を中心にこの問題についての論文を執筆した。 すなわち、国際司法裁判所(ICJ)も、証拠の偏在が生じる事件においては、当事国の立場の不平等性を何らかの方法によって緩和するべく努めねばならない。当事者の提出した証拠だけでは証拠の偏在を処理できない場合に、第三者機関による調査および事実認定は、ICJにとって重要な資料を提供する。しかし、第三者機関による認定への安直な依拠は危険である。2005年のコンゴ事件でICJは、当事国が設置した事実認定委員会の調査報告に大きく依拠して判決したため、強い批判を受けた。2007年のジェノサイド事件では、旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)の認定した事実に依拠したが、判決中でICTYの事実認定プロセスを検証し、依拠を正当化している。但し、この事件でも事実認定基準に関してはとくに言及されていない。ICTYは、刑事裁判所であるため、「合理的な疑いの残らない程度」の証明基準を採用しているが、ICJでの認定基準は一般にこれよりも軽いものが用いられている。理論的には、ICTYで認定された事実に関しては問題が生じないが、逆に認定されなかった事実でICJで認定可能であった事実が存在する可能性が残る。この点を考慮に入れればICJがICTYの事実認定にのみ依拠して判断することの問題性が理解できる。
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