本年度は、主として、1851年プロイセン刑法典制定過程及び1871年ドイツ帝国刑法典制定過程における各種偽造罪に関する規定の変遷を、入手可能な草案及びその理由書、それらを巡る委員会や議会の会議録、さらには当時の有力な刑法学者のこの問題に関する論稿を素材に検討した。また、それらの検討を通じて、各種偽造罪の保護法益(本質)に関する当時の理解を明らかにすることに努めた。その成果として、(1)プロイセン刑法典制定過程において、各種偽造罪は、1843年草案までは、行為態様に着目して、「詐欺及び偽造」あるいは「偽造」の章にまとめて規定されていたが、1845年草案及び1847年草案においては、章の名前が「通貨犯罪と偽造」と改められ、偽造罪を客体の観点から理解する傾向が窺われるようになり、それはその後も維持されたこと、(2)1848年草案以降は「偽造罪」という一般的な章は姿を消し、各種偽造罪は、詐欺罪や破産罪の一態様として理解されるようになったものと、通貨偽造や文書偽造のように独立の章に規定されるようになったものに分化し、プロイセン刑法典の成立に至ったこと、(3)各種偽造罪のうち、通貨偽造罪は、国家(的法益)に対する罪としての理解が一般化していったのに対して、文書偽造罪は、財産犯としての理解から、社会(的法益)に対する罪としての性格を重視した理解へと変化したことが確認された。また、このような各種偽造罪のプロイセン刑法典における体系的位置づけや本質(保護法益)に関する理解は、1869年及び1870年の北ドイツ連邦刑法典草案及びその成果というベキドイツ帝国刑法典においても維持され、その後の通貨偽造罪や文書偽造罪に関する議論の基礎となったことも確認された。これらは、各種偽造罪の保護法益を「各客体に対する公共の信用」と解しているわが国の通説的見解の再検討を促すものとして、重要な意義を有すると考えられる。
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