前年度までの研究により明らかにしたように、我が国の伝統的意思表示論は他の財との比較を度外視して「目の前の財を購入するかどうか」という意思決定論を前提にしていた。本研究はかかる伝統的な意思表示理論の狭隘さを批判しつつ、意思決定とは、「所得制約の下で、他の財と比較しつつどのように自己の効用を最大化するか」という決定であることを明らかにした。そして、このように「市揚に於ける多数の財からの選択」という次元を意思表示理論に取り込んだとき、市場における意思決定が相手方の違法行為によりゆがめられたならば、表意者は一体いかなる損害を被ることになるのかが問われることになる。 そこで、本年度の研究においては、「市場における意思決定」の保護を不法行為法における損害賠償によってはかるための具体的な理論枠組みの構築を試み、その一適用例として独占禁止法違反行為をなしている企業と契約を締結した消費者が被った損害について考察した。そこでは、財価格の違法な吊り上げは消費者の意思決定の基盤となる所得の実質的な目減りを惹起するものであり、消費者において惹起された「所得効果」を填補するものとしての「補償変分」に着眼することが不可欠であると指摘した。そこで得られた知見に基づき、これまでの我が国の通説的見解と対比しつつ損害賠償額算定についての私見を示し、判例理論に関する新たな解釈を提示した。本年度の研究は、「市場メカニズムと損害賠償-市場連動型不法行為における損害概念への-試論-」神戸法学雑誌第五八巻第一号七七頁以下(二〇〇八)として公表された。
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