2001年春の小泉・(田中)眞紀子旋風と2005年での小泉圧勝とによって、日本の政治や政治学において、ポピュリズムの語がにわかに流行しはじめた。ほぼ同時期に、韓国、台湾、タイなどでも、新政権の特徴として指摘する概念としてポピュリズムの語が使われた。 現在のポピュリズム政治の流行は、ソ連の崩壊、社会主義会主義の解体による左右対立の急速な消滅と、1970年以来のネオリベラリズムの登場と時を同じくしており、両者のイデオロギーには共鳴する部分が多い。しばしば「ネオリベラル・ポピュリズム」とよばれるのはそのためである。ここで対象としたのは、政治戦略としてのピピュリュズム、すなわわち、going public戦略である。この分析のために、アメリカではニクソン大統領、日本では、石原慎太郎知事を取り上げた。二人は、未組織の大衆をテレビによって動員した指導者として共通である。 ニクソンは、学者によって、ポピュリストとして取り上げられることは滅多にないが、ベトナム支援での決定的時点で、大衆の支持動員に成功している。また実際の政策はともかく、ネオリベラル・レトリックを頻用した、現代ネオリベラル・ポピュリストの先駆であった。 石原のテレビ使用も同様に、巧みなもので、とくに初期においては秀逸である。彼が、かつての政敵美濃部亮吉から多くを学んだことは、興味深い。しかし、政策の方向性は、交友の深かった財界人から影響を受けている。 いずれにせよ、単なる制度的セッティングだけでなく、政治家個人の個性とイデオロギーの重要性を、ポピュリズム研究は改めて示している。
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