米韓両国政府外交文書などに依拠して、カーター政権の在韓米地上軍撤退が決定されることで米韓同盟関係が動揺し、朴正熙政権が核開発を試みるなど、自主国防政策に踏み切る過程を明らかにした。また、1975年ベトナム共産化統一、翌76年「ポプラの木」事件など、南北の緊張激化が、米国の対朝鮮半島政策を結局は転換させ、在韓米軍の撤退が撤回されることになる緊張緩和の逆流過程も合わせて明らかにした。最後に、韓国朴正熙政権は、1973年6・23平和統一外交に関する大統領特別声明にしたがって、対共産圏外交を積極的に進め、後の「北方外交」の原型とも言える外交が既に行われていたことを明らかにした。
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