研究概要 |
1991年の独立回復後のラトヴィヤでは、EU, NATOへの加盟を最優先課題とする外交政策を展開し、国際社会への積極的参加を目指してきた。この時期に、第二次世界大戦前のラトヴィヤ共和国についての歴史的な見直しが進み、その点においてきわめて興味深い展開が見られた。特に、EU, NATO加盟が具体的な視野に入ると共に、ラトヴィヤの民族と国家の歴史の重点が相対的に減じ、ラトヴィヤの歴史がよりヨーロッパ史の中に位置付けられるようになった。これは、一方で、民族意識の強調や確認が進む中で、他地域との協力へと関心が向いてきたこととも重なっている。 筆者が疑問に思うことは、1918年に成立したラトヴィヤ共和国の成立についての議論はあまり展開されずに、戦間期の独立時代に対する議論よりも、その後の占領に議論が終始されている点である。他のバルト諸国であるエストニア、リトアニアでは、憲法も新たに採択されたにもかかわらず、ラトヴィヤでは1922年の憲法の修正を繰り返しながらも、維持し続けている点は、注目すべき点であると考える。 これは、1920年代との比較研究を土台に小国ラトヴィヤの冷戦終焉後の国際秩序形成との関係性を明らかにするために重要である。また、国際関係史の文脈で、小国がどのようや役割を担うことができるかという点においても、示唆的である。
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