現在、ラトヴィヤが目指している国際社会での秩序形成は、ヨーロッパ連合に参加しながら、一方で環バルト海諸国として、小国であるが故の地域の諸問題と発展のために、現地の実体を反映させて解決しようと試みている。ヨーロッパ、ロシア、北欧の常に周縁に位置するラトヴィヤをはじめとするバルト諸国がどのように自立を模索し、国際関係の秩序にいかに係わっていこうとしているか、また、現実にどのように対応していこうとしているかという問題考察の基盤をラトヴィヤ共和国成立史は提供してくれる。 小国ラトヴィヤが独立国家形成において、ラトヴィヤ人が国家成立を具体的に志向し始めたのは、独立宣言の直前といっても過言ではない。従って、ラトヴィヤ人としての共通のアイデンティティや地域的な一体性への要求は展開されながらも、国民国家成立に向けての準備ができていないままに、複雑な国際環境の波間に投げ出されたラトヴィヤ人が、歴史の流れの中でラトヴィヤ人の利益を主体的に反映できるのは国民国家であるという理解に至るという経過こそが、独立国家成立への重要な背景となったのである。例えば、興味深いのは、ラトヴィヤ人居住地域の統一を主張するには、独立を宣言する以外に道はないという状況であった。 その結果、1920年代のラトヴィヤは、小国の独立を享受しながらも、国内的には政治的不安定、対外的には、環バルト諸国地域による地域協力の模索に向かった。しかしながら、ポーランド、リトアニア間の緊張した状態、ラトヴィヤで地域協力を模索していたメイローヴィッツ外相の事故死などにより、終息してしまった。このような歴史的背景が、現在の新地域秩序模索の中での、環バルト海地域の地域協力の展開の理解につながると考える。
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