本研究は、1969年から1970年にかけておこなわれた日米繊維交渉の実態を解明することを目的とした。その中で、沖縄返還交渉において、当時の佐藤栄作総理の密使として活躍した元京都産業大学教授若泉敬が、日米繊維交渉において果たした役割を解明することに重点を置いた。以下の研究成果を挙げた。 (1)若泉は、1970年4月末、国際会議出席のため、ワシントンDCを訪れる機会があった。その際、難航を極めていた日米繊維交渉の解決を図るべく、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官と会談する機会を持った。会談では、米側から繊維自主規制案を提出してもらい、それを、今度は日本案として提示するシナリオが作成された。これまで、まったく知られることのなかった若泉訪米時の活動が本研究により明らかになった意義はきわめて大きい。 (2)米側から提示された案は2つであった。それらの案を若泉は日本に持ち帰り、佐藤総理に手渡す。5月、パリでOECD会合が開かれた機会に、在米大使館の牛場大使、吉野公使、中山在ジュネーブ大使らとそれらの案を検討する。さらに、6月、宮澤-スタンズ会談が開かれる。これらすべてに、若泉-キッシンジャー・チャネルが関与し、日米繊維交渉を解決しようと働きかけていた。これを解明できたことは、本交渉の意義を考える上で、きわめて重要な成果であった。
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