日本の内閣にもアメリカのNSCと対応する「安全保障会議」とそれを支えるスタッフである「安全保障・危機管理室」、会議を補佐する機構として実務(局長)レベルの「事態対処専門委員会」が設置された。こうしてみると制度的には、アメリカのNSC会合と事務局、省庁間委員会に対応する機関が存在はしている。 しかし現実的には21世紀に入るまで、安全保障会議の役割は、防衛予算や主要装備の導入などの最終決定をすることなどに限定されてきた。たとえば、1990年の湾岸危機の際、当時の海部首相は同会議が扱うべき「重大緊急事態」として認定せず、安全保障会議と安全保障室は有効利用されなかった。小泉政権下では2001年の9・11同時多発テロ事件を「重大緊急事態」とし安全保障会議を招集し、テロ対策特別措置法案を作成し、小泉内閣は事件発生後7週間で立法化させた。その後、有事法制やイラク特別措置法も内閣官房が中心になり立法化を進め、NSC事務局に相当する旧安危室が重要安全保障政策の省庁間政策調整で重要な役割を果たした。 しかし小泉内閣での安全保障体制は、制度として定着したものではなかった。そもそも内閣官房が扱う問題は、「重大緊急事態」として認定されたものや、各省庁間にまたがる案件で内閣官房が扱うにふさわしいもの(たとえば国境を超えた人身売買など)だけに限られていた。そのため、一般の外交政策は外務省、防衛政策は防衛省が従来通り、主管官庁として中心的な役割を果たすことが続いた。例えば、安倍政権で内閣官房が扱った安全保障関連の問題は、日本版NSC設立と集団的自衛権に関する憲法解釈だけであり、どちらも不調に終わった。福田政権で扱った問題には給油新法、麻生政権ではソマリア沖海賊対処法がある。要するに、日本の内閣官房はアメリカのNSCのように、外交・安全保障の全般を所掌するようにはなっていない。
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