今年度は新古典派経済学における人間像と制度の経済学における人間像の思想上の相違を検討した。新古典派経済学における人間とは、「社会化」やノルムの「内部化」を行う必要のない「超社会的」で徹頭徹尾「自律的」な存在であり、その行動は彼個人の「内的」特性に完全に還元されてしまう。この新古典派経済学における原子論的・機械論的主体は、「自我」の概念と完全に平行している。これに対して、制度の経済学における人間とは、「社会化」やノルムの「内部化」を行う必要のある「社会的」で徹頭徹尾「他律的な存在であり、その行動は彼個人の「内的」特性に完全に還元されてしまうことはなく、この制度の経済学における全体論的・円環論的主体は、まさに個人と社会、自己と他者の二分法を否定するプラグマティズムにおける「人間」の概念と完全に平行している。新古典派経済学は、デカルト主義と同様に、いわゆる「自律的」な「近代的自我」の存在を素朴に前提するのに対し、制度の経済学は、プラグマティズムと同様にもはやそのようなものの存在を素朴には前提しない。言いかえれば、新古典派経済学とはデカルト主義と同様に「『主体』は存在する」と宣言する「主体の経済学」であるのに対して、制度の経済学とはプラグマティズムと同様に「もはや『主体』など存在しない」と宣言する「反-主体の経済学」であることを明らかにした。
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