国立公文書館、国立国会図書館、アジア経済研究所図書館、防衛庁防衛研究所図書館等を訪れ、興亜院刊行物、興中公司刊行物、北支那開発株式会社関係資料、満州拓植公社関係資料、満鉄北支経済調査所刊行物、満鉄北満経済調査所刊行物、合作社関係資料、華北地域炭坑・鉱山関係資料を調査し、複写した。 とりわけ防衛研究所所蔵の巽史料には華北経済開発に関する一次史料が含まれており、鉄鋼業開発に関する当時の軍、興亜院(大東亜省)の考え方および実践を明らかにすることができる。「小型溶鉱炉」設立政策として、戦争末期のエピソードとして語られる大陸における製鉄は、以前から大陸側の懸案であり、当初は大規模製鉄を企図していた。その挫折に至る経緯を資料から明らかにすることができるだろう。また、北支那開発株式会社に関しては、設立過程のみならず、存続した期間の主な事業内容が各種資料に示されている。興中公司→北支那開発と受け継がれた華北地域の各炭坑・鉱山の具体的な状況も資料に示されており、生産が目標に達しなかった原因が何かを分析することが可能である。 7月1日に日本植民地研究会にて「日中戦争期の長期建設」という題で口頭発表を行った。これは、長期建設のそもそもの意味を明らかにするとともに、対英米協調が1940年秋の「外交転換」によって可能性を失ったということを主張した。今後は、英米協調に見切りをつける要因となった中国大陸の長期建設の具体的内容を明らかにする予定である。
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