本共同研究では、第一次大戦期以前のドイツの諸都市が、ヴァイマル期に基礎づけられ第二次大戦後に本格的に実施された「社会国家」のための実験場となったというJ・ロイレッケの指摘の具体化を目指した。そして19世紀から20世紀への転換期にドイツの諸都市が、行政機構を整えながら救貧政策のみならず住宅政策、都市計画などの政策領域を含む広い意味での社会政策の中心的な実施主体となって都市社会の統合に努めた事態を「社会都市」と捉え、(1)「社会都市」と「社会国家」との関係、(2)「公共性」と「社会都市」を支えた政策としての広義の社会政策の意義、(3)第一次大戦を転機とする第二帝政期とヴァイマル期の連続と断絶、(4)都市行政とヴォランタリー事業と民間経済の協働関係、(5)他国(さしあたりイギリスとフランス)との比較といった諸問題を理論的・実証的に検討した。また、1980年代以降の「社会国家」の行き詰まりと地方分権化のなかで、「社会国家」の機能を都市自治体が担う「社会都市」プログラムが一部で実施されている現状も考慮した。本年度は研究実施計画に沿って「社会都市」あるいは「社会国家」といったキーワードの内容理解の共有およびそれと各自のテーマとの関連づけを行い、以下のような結論を得た。「社会都市」では制限選挙のもとで「有産者(市民)による無産者への恩恵」として社会政策が実施されたが、第一次大戦をきっかけとする行財政の権限の中央政府への集中と並行して社会統合の中心的主体が国家に移動するとともに、社会政策の基本的理念も「社会権の保証」へと変化し、その結果として「社会国家」が成立することになった。したがって、「社会都市」は「社会国家」に取って代わられたのではなく、質的な転換を伴いながら「社会国家」に組み込まれたと考えることができる。
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