本年度は、前年度の研究実績を踏まえて20O8年9月に広島大学で開催された社会経済史学会全国大会で、研究協力者とともにパネル・ディスカッションを組織・開催したが、事前の準備、当日の討議、事後の再検討の過程で以下の点が明らかになった。(1)第一次大戦期以前のドイツの諸都市は、住民への「生存配慮」を課題とする「給付行政」を国家に先駆けてあるいは国家の監督のもとに実施したが、このように19世紀後半以降の都市化と工業化を背景として先鋭化した都市問題・社会問題の解決のために「都市の社会的課題」を自覚して住民全体に一定の生活条件を保障し、都市社会の統合をはかった都市自治体ないしその機能を「社会都市」と捉える。(2)「社会都市」から「社会国家」への移行に際しては、差別を伴う「救貧」から権利としての「扶助」への「社会的なるもの」の変質があった。(3)その直接の契機となったのは第一次世界大戦であり、ナショナリズムも一定の役割を果たしたが、身分・階層に関わりなくすべての都市住民に均等に機会を与えるという「生存配慮」の観念が「社会都市」の時代に定着したことも無視できない。救貧政策だけでなくエネルギー供給事業、住宅政策、都市計画などの多様な都市政策を広義の社会政策と捉え、第二帝政期とヴァィマル期の連続面を重視する理由はここにある。(4)都市行政とヴォランタリー事業と民間企業の協働関係は一様ではないが、ヴァイマル期に入っても国家や都市自治体からの財政的支援への依存を強めつつも、民間団体と民間企業は独自の活動領域を確保したといっことができる。(5)イギリスやフランスとの国際比較で認識されたのは、ドイツにおける「自助」観念の独自な内容であり、たとえば住宅建設では、それは公営化を避けて富裕層の援助や公的資金で「自助」努力が可能な人々を支援する形で住宅を供給することを意味した。
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