研究概要 |
前年度、第一次大戦期日本における染料工業の生成について明らかにした点をふまえ(Hashino The Rise of the Japanese Synthetic Dye Industry during the First World War', Kobe Economic Review, 53,2007, pp.35-56)、本年度は主として1920年代の成長・停滞を検討しつつ、(1)当工業を取り巻く環境(他産業との関係、産業政策、国際関係)、ならびに(2)化学染料が消費者つまり繊維産業に実際どのように受容・利用されたのかに留意しながら資料収集を行った。 従来、1920年代は、この産業の苦難期と位置づけられてきた。第一次大戦期に輸入代替は果たしたものの、欧米と比べてまだまだ幼稚な段階にあった。戦後、新興国アメリカからの輸入、追ってドイツからの輸入が開始され、国内の化学染料工業は大変な苦境に陥った。それに対して、政府は染料工業を含む化学工業を「キイ・インダストリー」という新たな認識のもとで国策的に成長を支えようとした。一方で、化学染料の最大の消費者である繊維産業からは、このような幼稚産業を守るコストを誰が負担するのかを巡って、政府の政策を疑問視する声もあがり始めていた。 このような中で、新興産業であった化学染料工業がどのような産業構造を特徴としながら、産業内で競争・共存関係を形成していったのかを本年度は考察した。その結果、大戦期に創立された企業の多くが1920年代に淘汰され、中小・零細な企業は協調的な行動を通して、生き残りを図っていったことが明らかにされた。これらをふまえて、生き残った企業とそうでなかった企業属性の比較(規模、技術、経営者の教育水準)、1920年代の苦難期の意味の再検討、繊維産業への影響、産業政策の有効性について、次年度さらに考察を進めていきたい。
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