研究課題
基盤研究(C)
ドイツ簿記の16世紀は,まさに「大航海時代」。15世紀の末葉、1492年の新大陸の発見、1498年の東インド航路の発見によって、大航海時代が到来する。複式簿記について、世界で最初の印刷本がLuca,Pacioli によって出版されるのは1494年のことである。事実、大航海時代を反映して、16世紀には、商業の中心が大西洋に移行するにつれて、「商業革命」に見舞われる。沿岸航海から外洋航海に移行するにつれて、交易ルートも変化、交易商品が変化するばかりか、取引形態も変化する。16世紀に出版される簿記教科書には、通常の商品売買に加えて、特殊な商品売買、先物買付と先物販売としての「先物売買」(Lieferung)を記録、「先物売買勘定」が開設される。さらに、委託販売としての「アントワープへの航海」(Reise gen Andorff)を記録、「航海勘定」が開設される。それだけではない。航海の運と不運を賭しての「冒険売買」(Gluck und Ungluck)を記録、「冒険売買勘定」が開設される。さらに、通常の金銭貸借に加えて、特殊な金銭貸借、先駆的な損害保険としての「冒険貸借」(Boddmerey)を記録、「冒険貸借勘定」が開設される。ところが、取引形態の変化と16世紀の複式簿記の対応を研究して、素朴な疑問に直面する。損害保険の歴史では、1234年に公布されるカトリック教会法(kanonische Recht)の「徴利禁止令」(Dekretale Papst Gregorius IX, c.Naviganti)に抵触することを理由に、「冒険貸借」が存続されることは困難になったようで、むしろ、廃止されてしまい、「無償貸借」、さらに、「仮装売買」が開発されたことになっている。しかし、徴利禁止令が公布されてから、すでに3世紀余、この16世紀に出版される簿記教科書にも、「冒険貸借」が例示されるとなると、実に不可解である。例示されるのが簿記教科書であるからと片付けてしまうわけにはいかない。複式簿記からの疑問、この謎の謎解きに挑戦することにしたい。まずは、簿記教科書に例示される「仕訳帳」と「元帳」から「冒険貸借」を類推することにする。「船主」または「荷主」が船および船荷を担保に、「銀行家」または「投機者」から金銭を借入れる事例である。船および船荷が目的地に無事に到着するなら、「船主」または … もっと見る 「荷主」は借入れた元金を返済するのに加えて、ヨリ高い利息を「銀行家」または「投機者」に支払わねばならない。これに反して、海難に遭遇するなどして、目的地に到着しないなら、「銀行家」または「投機者」には、借入れた元金すら返済する必要はない。このような契約で、金銭を貸借する事例である。先駆的な損害保険としての「冒険貸借」である。「船主」または「荷主」は冒険貸借勘定の貸方の面に、とりあえず、この借入れた元金を記録する。これに対して、船および船荷が目的地に無事に到着することでは、双方の契約に従い、「銀行家」または「投機者」には、借入れた元金を返済するのに加えて、ヨリ高い利息を「銀行家」または「投機者」に支払わねばならなくなる。したがって、「船主」または「荷主」は冒険売買勘定の借方の面に、返済されるべき元金と支払われるべき利息の合計を記録する。そのために、「船主」または「荷主」には、「冒険貸借損」が発生する。損害を負担してもらい、発生する損失(費用)である。ところが、目的地に到着しないとしたら、双方の契約に従い、借入れた元金すら返済する必要はないので、冒険貸借勘定から損益勘定の貸方の面に振替えられるしかない。「船主」または「荷主」には、「冒険貸借益」が発生する。損害を負担してもらい、発生する利益(収益)である。「銀行家」または「投機者」が船および船荷を担保に、「船主」または「荷主」に金銭を貸付ける事例である。船および船荷が目的地に無事に到着するなら、「船主」または「荷主」からは、貸付けた元金が返済されるのに加えて、ヨリ高い利息が支払われねばならない。これに反して、海難に遭遇するなどして、目的地に到着しないなら、「銀行家」または「投機者」には、貸付けた元金すら返済される必要がない。このような契約で、金銭を貸借する事例である。先駆的な損害保険としての「冒険貸借」である。「銀行家」または「投機者」は冒険貸借勘定の借方の面に、とりあえず、この貸付けた元金を記録する。これに対して、船および船荷が目的地に無事に到着することでは、双方の契約に従い、「船主」または「荷主」からは、貸付けた元金が返済されるのに加えて、ヨリ高い利息が支払われねばならなくなる。したがって、「銀行家」または「投機者」は冒険売買勘定の貸方の面に、返済されるべき元金と支払われるべき利息の合計を記録する。そのために、「銀行家」または「投機者」には、「冒険貸借益」が発生する。損害を負担して、発生する利益(収益)である。ところが、目的地に到着しないとするなら、これまた、双方の契約に従い、貸付けた元金すら返済される必要はないので、冒険貸借勘定から損益勘定の借方の面に振替えられるしかない。「銀行家」または「投機者」には、「冒険貸借損」が発生する。損害を負担して、発生する損失(費用)である。しかし、窮迫する隣人から利息を受取ること自体、したがって、金銭貸借での利息を徴収すること自体はキリスト教の「隣人愛」(Nuchstenliebe)に反する罪悪であるとの思想から、翻って、「不労所得」(muheloses Einkommen)は罪悪であるとの思想から、「徴利禁止令」によって、「冒険貸借」が存続されることは困難になったようである。そこで、法律家のBlumhardtによると、「『何も求めずに貸し与えよ』(Mutuum date nihil inde sperantes)という言葉は、道徳または神の法の代弁者である教会がかなりの権力を持つようになると、最初は聖職者に対して、ヨリ後になると、俗人に対しても経済生活に対しても、とにかく基本方針にする原理であった。法令としては、まずは、このキリスト教の隣人愛の教義がローマ教皇Grego rius IX.の教令に収録されて、金銭貸借に利息を付すことの禁止が言明された一連の教皇の布告に表現された」。「暴利禁止(Wucherverbot)の根本思想は、貨幣が労働なくして果実をもたらしてはならないということであった」。したがって、冒険貸借は、金銭貸借と同様に、債権者である「銀行家」または「投機者」に支払われる利息が「徴利禁止令」に抵触すると判断されたのである。しかし、利息自体が表面化しないように工夫される。『GREGORII P. IX の教書集』("FRAGMENTA DECRETORUM")によると、無事に帰還した場合には、冒険貸借の返済に、債務者である「船主」または「荷主」が、債権者である「銀行家」または「投機者」にヨリ高い単価の商品を返済することにしておいたら、この返済された商品の「含み益」によって、したがって、利息自体は表面かすることもなく、「危険負担料」も返済することになるというのである。さらに、詭弁めいてはいるが、まさに、「言いくるめの論理」。冒険貸借は、金銭貸借と同様に、金銭を貸付けても、危険は負担しないで、利息を受取るということでは、「徴利禁止令」に抵触するので、危険を負担する「出資」、したがって、利息自体は「報酬」と釈明される。海難に遭遇すると、金銭を貸付けた「船主」または「荷主」からは返済されないことから、「銀行家」または「投機者」は危険を負担して、報酬としての「危険負担料」を受取るだけであるというのであるそれだけではない。この「言いくるめの論理」を少なからず後押ししたのは、16世紀に見舞われる「宗教改革」。Blumhardtによると、「『宗教改革』によって初めて、暴利禁止は打破されたのである。注目すべきは、利息禁止がもはや拘束力のあるものではないと言明した最初の人が、神学の改革者、Calvin,Jeanであったことである」。しかし、後押ししたのが「少なからず」でしかないのは、カトリック教会法自体、最高の精神的な権威である教皇が公布しているだけに、撤回すねことなど、至難にちがいなかったからである。したがって、16世紀にも、依然として、「冒険貸借」は存続されたのは、まずは、利息自体が表面化しないように工夫することによって、さらに、利息自体は「報酬」と釈明することによって、「徴利禁止令」には抵触しないと判断されたからではなかろうか。なお、これ以外の取引形態、先物買付と先物販売としての「先物売買」、委託販売としての「アントワープへの航海」、さらに、航海の運と不運を賭しての「冒険売買」についても解明したのだが、紙幅の都合から割愛せざるをえない。その詳細については、研究成果をまとめ公刊した拙著『複式簿記会計の歴史と論理-ドイツ簿記の16世紀から複式簿記会計への進化-』(森山書店)を参照して頂きたい。 隠す
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Seinan Ricerca 第13号
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会計史 第27号
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