本年度の課題でる1930前半期における国政審議の動向は以下のようであった。1929に設置された社会政策審議会を通じて社会政策へのとりくみがようやく開始されていくものの、それは主に失業問題への対応に終始するものであって、期待されていた社会政策体系を具体化するものとはなりえなかった。政府関係者は、財政緊縮という当面の緊急課題を理由に挙げていたが、審議の随所にみられたのは、一般労働者階級への生活保障が権利と結びつく恐れがあること、結果として惰民の増大を引き起こすという旧来の解釈が支配的であったことである。しかしながら、この時期から農村への救済をも視野に入られながら、社会政策的な論議は拡大を見せていくようになる。労働組合法案が再三審議にのせられ、各種社会保険の必要か主張され、児童問題(児童虐待防止法案、少年教護法案など)から老齢者への対応まで多様な講議か浮上していく。こうした動向を受けながら、なお社会政策としてではなく、日本の国情に即した社会政策という表視で国家の保護、恩恵を維持していこうとするところに、日本の戦前期現代のもつ特徴が読み取れよう。 関連して、失業間題に特化していたとはいえ、政府機関に社会政策審議会が設置されたということは、社会局が関わる社会事業との違いが、国政レベルでも認識されつつあったといえるだろう。その違いを、加速させていくことになるのは、農村の疲弊に対応して掲げられた国民更生運動と戦時体制に備えての日本精神作興に関する建議案、民族優勢保護法案の論議の浮上、軍関係の傷病兵に関する施策の拡大などであった。国民連帯主義の救済という表現もまだ散見されるが、救護法の実施状況をみると市町村の財源確保が進まないことが指摘され、最低生沽保障とのつながりがもてないままであった。むしろ最低生活保障は軍人恩給の議論を通じて正当化されていくことが明確になった。
|