1940年代前半の帝国議会は、戦時体制下の労務問題をめぐって配置転換の予定・休業手当・生活援助費など国民皆働体制が論議の殆どを占めて居る。予算にしても18年度予算では軍人援護・国民動員・結核対策・人口増強、保健衛生、国民生活安定(乳幼児体力向上・妊産婦補助・阿片費・戦時災害保護法施行)などをめぐって論議される。社会事業に関しては、昔は労働者は弱い者で保護するのが総ての制度の根本にあったとされ、社会事業でも仁恵的憐憫によって守るという方向、社会政策も衛生事業もそこから出発していたが、これが根本の誤りであったとする意見が強調されて出てくる。したがって厚生省はただ与えるだけでなしに生産性を帯びるようにしなければならないと指摘され、勤労によって国家に奉公するという方向が明確に出てくる。しかし、現実は食糧不足、国民体位の低下、乳幼児死亡率の上昇、医療体制の低下など、労務問題全体を支えうる基盤の崩壊は明らかであった。にもかかわらず、依然として生活物資問題以上に国民の精神性の維持、強化が繰り返されており、事実上は国民生活が維持できない状況にあったにもかかわらず、帝国議会の審議はこの時期益々空洞化していたことが読みとれる。社会連帯思想については審議ではもはや表明されることがなくなっているが、社会事業専門誌においてはフランスの社会連帯主義に付いての詳細な分析と紹介がまだ掲載されるという状況にあった。掲載そのものが如何なる意図のもとに実現したのか問われるが、それ自体が関心を呼ぶ状況ではなかったといえよう。
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