【目的】自殺や自殺対策への社会の受け止め方が一通りではなく、むしろ複数の社会のエージェントによる力の関係=ダイナミクスとして理解すべきではないか、という仮定のもとに、自殺をめぐる言説について、従来「自殺に対する偏見」とよばれてきた内容も視野にいれつつ、より広く、わが国における自殺の社会構成的な側面を明らかにすることが目的である。昨年度は新聞を対象にテクストの内容分析を行ったが、本年度は自殺対策に取り組む者に面接調査を行い、より現実的な言説の構成を検討した。 【方法】自殺問題の当事者と非当事者の立場をいわば「架橋する」遺族ケアに取り組む支援者8名に面接調査を行った。並行して、自死遺族、医師、自殺予防に関心をもつ学生の意見を検討した。 【結果と考察】自死遺族の姿は、家族の自死に自責の念を持ち、他者からも責任を追及される存在であり、自らは自死について語らず、周囲から孤立し、自死をめぐる社会活動に対しても抵抗感を示しており、その体験はさまざまで一様にとらえにくい存在であると、支援者から記述された。さらに、このような自死遺族との関わりについて、支援者は「遺族の心情は遺族でない者にはわからない」「わかるわけがないから傷つけたらどうしよう」という〈遺族の心情の理解の困難〉〈遺族の心情を傷つけることへの恐れ〉を語り、遺族の心情は、同じ体験をしていない遺族でないもの(「非遺族」)にはわからない不可視なものとされていた。その上で、遺族の心情は、傷つきやすく、取り扱いに注意しなければならない不可触なものとして、扱われているようにも見えた。 その他の調査協力者からも、自殺を「見えないが壊れやすいものを絶対に壊れないように扱う」ことの困難さと、その対象への接触そのものを回避しようとする方向を示す声が入り混じって提示された。しかし「わからないとおもいつつ…反対の声を聞く勇気も必要」といった、乗り越えていくための模索の言説が、それぞれの立場で生成されていた。
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