H・シュラーダー=ブライマンの代表的な伝記であるマリー・リュシンスカ著『ヘンリエッテ・シュラーダー=ブライマン』(1927年)によれば、シュラーダーは、フレーベルが創設したカイルハウ教育舎を創設後まもなく訪れ、フレーベルから直接指導を受けたとされる。そこで、本年度の研究計画は、カイルハウ教育舎(現在の自由フレーベル学校)の資料室にて、カイルハウ教育舎設立当時の資料、とくに設立当時の関係者の資料を探索し、シュラーダーに関する資料の発見を目的として調査を行った。この学校の研究担当教員のメフェルト博士指導のもとに、資料室所蔵の資料と文献のうち、現在整理中のランゲタール(フレーベルの協力者)関係の書翰類を調査したが、そこには、カイルハウにおけるシュラーダーの営為を確認できる資料は発見出来なかった。ただし同じくフレーベルの協力者だったミッデンドルフ、ならびにバーロップの資料は、まだ十分に調査できなかったため、機会を改めて調査を続行したい。 ドイツでの資料調査に加え、アメリカへのシュラーダーの保育・教育思想ならびに、ペスタロッチ・フレーベル・ハウスの受容については、日本教育方法学会第43回大会において発表し、「ペスタロッチ・フレーベル・ハウスの教育実践と母性-家庭・地域社会の教育力再生の視点から-」『鳴門教育大学研究紀要』第23巻にまとめた。ここでは、マリー・リュシンスカ著『幼稚園の原理:その教育的価値と主な適用』(1886年)で紹介されたシュラーダーの保育・教育観、ペスタロッチ・フレーベル・ハウスの実践が、アメリカに受容された経緯に触れながら、アメリカの無償幼稚園設立に及ぼした影響について考察を試みた。シュラーダーの女性観・母生観がアメリカの幼稚園教師の専門性確立に及ぼした影響については、ドイツ人幼稚園運動家エマ・マーウェデルやシルバー・ストリート幼稚園の指導者ウィギンとの比較を通して明らかにしたいと考えている。
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