本研究の目的は、ペスタロッチ・フレーベル・ハウスにおけるシュラーダー・ブライマンの保育・教育思想がアメリカに導入された過程を辿りながら、その影響力を探ることにある。ベルリンのペスタロッチ・フレーベル・ハウスの資料調査から、シュラーダーが1893年にシカゴで開催されたコロンブス博覧会にハウスの関係資料を展示するためにシェーペルを渡米させたのは、1892年10月15日、国際幼稚園連盟の通信幹事、ヘイブンから手紙を受け取り、連盟開催の会議に出席させるためであった。それは、シュラーダーが博覧会を機に、各国の幼稚園教育の理論・実践を報告・論議し合い、情報を共有する中で、幼稚園教育ならびに教員の資的向上を図ろうとして設立された国際幼稚園連盟(会長:サラ・クーパー)の趣旨に共鳴し、その活動に協力するためであった。さらに、シェーペルがシュラーダー宛てに記した手記から、彼女がシカゴにおいて、『幼稚園雑誌』の編集員であるドイツ人移民ホーファーとの交流や講演を通して、ハウスの保育・教育の目的、信条、月主題による実践などを広めていたことが明らかとなった。 ドイツにおける資料整理とともに、今年度はカリフォルニア大学バークレー校のバンクロフト図書館での資料調査を実施した。シュラーダーの保育・教育思想が受け入れられる理論的・実践的基盤となったカリフォルニアの無償幼稚園運動の実態も、ドイツ人幼稚園運動家エマ・マーウェデル、シルバー・ストリート幼稚園の指導者ケート・W・ウィギン、ゴールデンゲート幼稚園協会のサラ・クーパーらの資料から実証することができた。 ドイツ・アメリカ双方での資料調査から、ペスタロッチ・フレーベル・ハウスの導入過程が鮮明になるに伴い、カリフォルニアでの無償幼稚園運動がアメリカの幼稚園改革に果たした思想的・実践的意義も浮き彫りにされたと言える。
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