ヴィルヘルム・フォン・フンボルトらが結成した「育徳(美徳)同盟」(Tugendbund)の思想史的・社会史的背景について解明するため、ベルリン啓蒙主義の代表モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn 1729-1786)の思想と行動を明らかにした。 1.ドイツ啓蒙主義として、1784 『ベルリン月報』に「啓蒙するとはいかなることかという問いについて」という論文を掲載し、啓蒙の誤用のもとに蔓延する道徳的退廃を阻止しようとした。啓蒙も文化も社交生活の変種であり、人間が社交的状態をよりよくしようとする努力の作用であること。上位概念が教養であり、それを実践的なものとしての文化と理論的なものとしての啓蒙に区分し考察した。 2.デッサウのゲットーにユダヤ人として生まれた彼は、14歳でベルリンに移住して以来、モーセ五書のドイツ語訣などを通して、ユダヤ人とドイツ人の相互理解に努めた。その結果友人レッシングによって、宗教と民族の違いを乗り越えた友愛と寛容の人『賢者ナータン』のモデルとして描かれることになった。メンデルスゾーンは、一方でユダヤ教正統派として伝統的慣習を保持しようとしたが、彼はユダヤ人の解放(啓蒙)を促したと同時に、ドイツ人への同化を促進した人物であるとも評価される。 3.メンデルスゾーンが夕刻に自宅で開いた会合に感化され、娘ドロテーア・ヴァイトとその友人ヘンリエッテ・ヘルツがサロンを開き、フンボルドも参加して。「育徳(美徳)同盟」の結成(1787年)に至るが、ベルリンサロンガユダヤ人女性を女主人として開催されたことは、ユダヤ人とキリスト教徒の障壁を取り除く開かれた精神が醸成されていたことを示すと共に、そうした精神の涵養にメンデルスゾーンの果たした役割の大きさを物語るものである。
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