ヴィルヘルム・フォン・フンボルトらが結成した「育徳(美徳)同盟」(Tugendbund)の思想史的・社会史的背景について解明するため、ベルリン啓蒙主義者モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn1729-1786)の思想と行動を明らかにした。とりわけ1784年『ベルリン月報』に掲載されたカントとメンデルスゾーンの2つの「啓蒙」論文を基点として、「啓蒙とは何か」という問いがいかに成立したか、その経緯を(メンデルスゾーンが名誉会員として参加していた)ベルリン啓蒙主義サークル「水曜会」での議論に辿ることにより、メンデルスゾーンの啓蒙理解の特質を解明した。啓蒙を絶対視せず、道徳や宗教の破壊に繋がらぬように、慎重に啓蒙を進めようとしていた点である。このように、ベルリン啓蒙主義者の代表として、「啓蒙」「文化」「教養」概念に関する議論の進展に寄与した側面と、自らユダヤ人としてドイツ人との相互理解を進めたことの功績について明らかにした。こうした彼の思想と行動が、娘ドロテーア・ファイトや同じくユダヤ人女性ヘンリエッテ・ヘルツらのベルリンサロンの開催に繋がったのである。 次に「育徳(美徳)同盟」に所属した主要人物たちが織りなす人間関係の力学並びにこの組織の特徴について解明するため、とりわけフンボルトとヘンリエッテ・ヘルツとの関係に焦点を当て、フンボルトからヘンリエッテ・ヘルツに宛てられた書簡等を読解することによって、フンボルトがヘンリエッテに何を期待し、何を得ようとしたのか分析した。
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