坂元忠芳東京都立大学名誉教授を招いて、報告会を開いた。坂元氏には、教育科学研究会初代委員長で編集長の、故東大教授である勝田守一(〜)の教育学について話しを伺った。この報告会には、聞き取り調査を兼ねて、調査協力者として、細金恒男(早大教授、後期中等教育専門)と前田晶子(鹿児島大学、日本教育史・発達心理学史専攻)の同席を願った。 坂元氏は、勝田の戦時期を二つに分け、松本高等学校教師時期と1942年以降の文部省入省時期における勝田の哲学研究を分析した。自由主義を重んじながらも、戦争に荷担する勝田の哲学研究の弱点を指摘した。また文部省内の人間関係の重要性を指摘した。 戦後、勝田は、文部省内で、社会科の教科作成に全力をあげる。その教育学的意味を指摘した。戦争反省と戦後改革の意義、また、アメリカ発新教育の批判的摂取について勝田の教育学的思意を指摘した。なぜ、勝田が哲学研究から教育学研究に移ったのか、その根底に戦争反省の意思の存在を指摘した。 問題は、こうした、戦前、戦後改革期の勝田の教育学的思意がいかに、1952年教育科学研究会の再建に向かうのか。その分析が、今後の課題となうた。 筆者佐藤広美の戦前から戦後改革期におけるこれまでの論文を整理し、あらためて、文章化の作業(打ち込み作業)を行った。次年度以降、その整理のための、資料づくりであった。
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